不干渉の原則
オムネク・オネクの本に
この本が「真実」ではないのかと思わせられるほどの
鋭く、かつ的確な素晴らしい指摘が
いくつも述べられています。
その中でも素晴らしく的確で
かつ哲学的考えであるのが
「不干渉の原則」です。
この「不干渉の原則」は
文字通り「干渉しない」ということ。
オムネク・オネはこの本の中で
「干渉しないことにより
世界平和を実現し、また
心を成長させることができ
文明を進歩させることが可能だ」
と言っているのです。
まこれだけを耳にすると
ふーんと聞き流してしまいそうになる
ありきたりな表現のように思います。
ですが、この原則を掘り下げると
かなりハっとさせられる「教え」でありながら
さまざまなことを考えさせられる
卓越した深い理論であると思います。
また、金星人や宇宙人たちは
この「不干渉の原則」=「干渉しないルールを守っている」
ともおっしゃっています。
干渉とは?不干渉の本質とは?
干渉とは、ご存じの通り
「他人のことに立ちいり
しいて自分の意思に従わせようと指図・妨害すること」
をいいます。
例えば、相手の行動や言動に対して
間違っている、このようにすべきだ
として押し付けること
また、物の基準や見方がこうあるべきだとして
相手に強要することを「干渉する」といいます。
また、手助けやアドバイスを求めていない
相手に対してお節介を焼くことも
干渉の一種といえます。
反対に不干渉とは
「かかわりあいをもたず、他人や他の事に立ち入ったり
自分の意志に従わせようとしたりしないこと」をいいます。
この一文を深く掘り下げ、要約すると
「優しく見守るということ」と
言い換えられるのではないでしょうか。
つまり、相手の言動に口出しせず
相手が何を考えて、そのような行動を取ったのかを
理解するよう努めるのです。
自分の考えが正しいと感じたことであっても
相手に押し付けないことが大切です。
「奇跡のリンゴ」で知られる
世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に
成功した日本の農家、木村秋則さんが論じている
「自然農法」にも「不干渉」に通じるものがあります。
日本は農薬使用量が世界トップクラスであり
また、さまざまな作物のなかでも
特にリンゴは農薬なしで育てることは
不可とされてきました。
そんな中、木村秋則さんは
「リンゴを育てる」のではなく
「リンゴが育つように見守る」という視点で
リンゴ栽培に取り組んだそうです。
リンゴに対して
「人間と関わっているかのように
接っするようにしている」と
述べられていました。
「不干渉」と同じような意味合いである
「批判しないこと」や「個性を尊重する」
といった大雑把で抽象的な表現が
一般的に使用されていますが
オムネク・オネクの「不干渉」という
表現の方が的確であり
微細な感性を踏まえた見事な言い回しです。
この表現は、人とひととの距離感を絶妙なバランスで
巧みに言語化し、概念化しています。
繊細で、かつ磨き抜かれた表現であり
デリカシーのある新たな価値観の誕生とも言えるでしょう。
「不干渉=無関心」ではない 〜あくまでも愛が基盤〜
上記で述べてきたように、「不干渉」は
「無関心であること」と
結びつけてしまう人もいるかもしれません。
しかし、オムネク・オネクが述べるここでの
「不干渉」は、「個人主義の姿勢」ではないのです。
あくまでも「愛」が基盤にあり
その上で個人を尊重することこそが
「優しく見守る」という意味での
「不干渉」というわけです。
どんな場合においても必ず
「愛」が大前提にあり
「愛」がなければ「見守る不干渉」は
成り立ちません。
瞑想においても、四無量心やワンネスなどの
純粋な「愛」が必須であり
「愛」を求めることが必然なのです。
ですから、愛が基盤となっている
「不干渉の原則」は
大変見事な表現であるといえるのです。
「積極的に相手を理解する」より「優しく見守る」
加えて、「不干渉」が素晴らしい
表現であると思うのは
「積極的に相手を理解する」のではなく
もっと取り組み易いハードルである点です。
相手を充分に理解せずとも、干渉しなければ
それでこと足りるのです。
しかし、しつこいようですが
断じて「無関心ではない」ということを
念頭に置いておかなければなりません。
つまり、「優しく見守る」という名の
「愛」が基盤となるのです。
しかし、「愛」は一般的には
「積極的に他人を愛すること」
と認識されています。
それを目指すことがいいともされているでしょう。
しかし、いたずらに、積極的に他人に愛情を注ぐことは
「ありがた迷惑」や「親切の押し売り」に
なってしまうこともあります。
本人は「善いこと」と思っていても
相手の意向を無視している場合がある為
迷惑になることも多々あります。
「不干渉の原則」は
「積極的な行動に含まれるエゴ」を
取り払う表現であり
親切の押し売りを起こさなくて済むのです。
議論ではなく「愛のある温和な話し合い」
これに関連しているのが
「日本人は議論下手」だと指摘され
時には、上手くなるようにと教授されていることです。
議論とは、「自分の考えを述べたり
他人の考えを批評したりして話し合うこと」
と認識されています。
しかし、実際のところは
お互いの価値観や意見の投げ合いや
ぶつけあいにより無理に擦り合わせているに
過ぎないのです。
理屈上でお互いが納得のできる
「結論」に導く
これはまさに「自分の意見や考えを押し付け合う行為」
であります。
言うなれば、「気持ちを無視した粗暴な行為」です。
議論の最中では
熱がこもりすぎないように
調整しようと努めますが
なかなかそう完璧にはいきません。
本心では気持ちが高まっている状況であっても
感情を無理矢理抑え、理屈っぽく取り繕い
平然な顔をして必死に隠しています。
これを続けるにつれて、気持ちが抑圧され
理屈の術は磨かれても
心の成長には悪影響を及ぼす場合があります。
この意見の応酬合戦を、闘争を思わず
「冷静沈着でいろ」、というのが
「議論」というがさつな行為です。こ
のような西洋的な方法は配慮に欠けており
相手を挑発する、荒々しいやり方であり
感受性に欠けた、鈍感な人の行動スタイルといえます。
今日では、「議論下手」といわれる
日本人の間でも
「議論」というものが普及され
かなり当たり前のものになってきました。
しかし、感情を隅に追いやる
「議論」に慣れると
議論を吹っかける癖がついてしまい
「理屈っぽい」と言われ
迷惑もの扱いされてしまうかもしれません。
議論を求めていない相手との間に
議論を持ち込むことはしないほうがよいのです。
粗暴な議論はせず
「愛のある温和な話し合い」をしましょう。
「日本人は議論が下手」というのは
実際のところ、「不干渉の原則」という名の
宇宙的法則に、日本人は無意識に気がつき
実行しているのかもしれませんね。
ですから、日本人は
「議論下手」のままでいいのです。
むしろ、「日本人の優しさ」という長所として
自信を持ってもいいでしょう。
理屈については、人に議論を吹っかけて
荒っぽいやり取りをし、身につけるのではなく
自分自身で学んでいけばなんの問題もありません。
常々、日本人の感受性は
素晴らしいものだと思っていますが
議論をせず、あくまでも「愛」を
基盤とした話し合いを行えるというのも
「優れた感受性」のひとつであります。
「不干渉の原則」で世界から争が減少する
これまで述べたように
「不干渉の原則」によって
意見の異なる相手との間に
闘争を生まず、人間関係を良好に保つことができ
個性や人格を真っ直ぐ育てることができます。
「不干渉の原則」に従えば
身近な人間関係に限らず
世界から争いを減らすことも可能でしょう。
ですが、どんな場合においても
「愛」を持ち、基盤として
「愛」で支える必要があります。
相手がこちらからの「愛」に気がつけば
感性の方向性を間違えることもなくなるのです。
「優しく見守る不干渉」によって
相手に対して
「愛」を持っていることを示すことができます。
キリスト教で「愛」が説かれているのも
「愛」が全ての基盤になることが
認められているからでしょう。
また、仏教でも修行の中核に
「慈悲」を重視する考えがあります。
仏教は冷たい宗教と思われることがありますが
実際には「愛」を基盤に置いた考え方なのです。
「比丘(修行者)の心は梵天の心であるように」という
お釈迦様の有名な言葉があります。
梵天とは、仏教の守護神で
「幸福の象徴」とされています。
興奮するような幸せではなく
静かに心を安定させて幸せに浸っているのです。
何に置いても基盤となる
「愛」という普遍的な感性を養う上に
「不干渉の原則」を培っていくことで
人とひととの関係性が不和なものにならず
文明は正しく進歩していき
世界平和にも繋がっていくことでしょう。
「干渉とは?不干渉の本質とは?」
先述した、木村秋則さんの
「奇跡のリンゴ」のように
「不干渉の原則」を用いり
不可能を可能にすることができるかもしれません。
「不干渉の原則」と「ありのまま」について
オムネク・オネクは40年も前に
上記で述べたような奥深く繊細な考えを持ち
「不干渉の原則」という見事な言い回しで
表現しているのです。
並の人間には出来ない優れた思考の持ち主です。
ちなみに、原始仏教や禅宗では
このようなことを「ありのままに」
といった表現がされています。
一見同じような言葉に思えますが
この「ありのままに」という表現を
深く掘り下げ、尚且つ的確で
わかりやすい言葉で表わしているのが
「不干渉の原則」なのです。
とても深い言葉であり
様々なことを考えさせられる言葉でもあります。
向上心や野心のある相手にこそ
優しく見守ることで成長させる手助けとなるでしょう。